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徳島地方裁判所 昭和54年(わ)329号 判決 1981年4月23日

主文

一、被告人Aに対し

被告人を懲役三年に処する。

未決勾留日数中三〇日を右刑に算入する。

この裁判確定の日から五年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用の三分の一を被告人の負担とする。

一、被告人Bに対し

被告人を懲役二年六月に処する。

未決勾留日数中三〇日を右刑に算入する。

この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用の三分の一を被告人の負担とする。

一、被告人Cに対し

被告人を懲役一年六月に処する。

未決勾留日数中三〇日を右刑に算入する。

この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用の三分の一を被告人の負担とする。

理由

(被告人らが本件各犯行に至る経緯等)

一、被告人らの経歴

被告人Aは、本籍地(現在は町名変更)に生まれ、昭和二一年二月D市立工業学校を中退し、以后、徳島市内で運送会社の運転手、バーやスーパーの経営等に従事していたが、昭和三八年四月、自動車の修理を業とする株式会社E自動車工業の代表取締役となり、同会社を経営していた頃相被告人Cと知り合い、昭和四二年六月ころ、徳島市内の医療法人F会G病院の事務長に転身し、同病院において、病院経営の手腕を身に付け、昭和四七年一〇月同病院を退職したが、在職中知り合った相被告人Bと共に昭和四七年六月ころから新しい病院の設立を企図し始め、昭和四八年一〇月二九日医療法人清和会を設立登記して同法人理事となり、昭和四九年一月三〇日役員変更により同法人理事長に就任するに至っていたもの、被告人Bは、大阪市に生まれ、昭和三五年三月徳島県立H高校を卒業、昭和四一年三月岐阜県立医科大学を卒業し、大阪大学医学部においてインターンを修了して昭和四二年一一月に医師免許を取得、昭和四六年三月にはD大学医学部博士課程を卒業して医学博士となり、同大学附属病院で内科医として勤務する傍ら前記G病院にアルバイト医師として働くうちに被告人Aと知り合い、昭和四八年一〇月被告人Aと共に医療法人清和会を設立し、協立病院の院長に就任していたもの、被告人Cは、沖縄県に生まれ、昭和一八年九月I高等商業学校を卒業し、戦争中は満州に赴いたが、昭和二〇年一〇月J工業株式会社長崎造船所に就職し、昭和二一年六月同会社徳島工場に転勤したが、昭和二三年四月同会社の倒産閉鎖により退職し、その後、徳島市内で鉄工所を経営したり、パチンコ店、スーパー等を転々としているうち、昭和四〇年二月ころ、被告人Aの経営する前記E自動車工業の経理事務員として入社し、昭和四七年三月ころ被告人Aと共に前記G病院で事務員として稼働するに至っていたが、昭和四九年一〇月、被告人Aの懇望により、前記清和会協立病院の経理課長となり、その後、協立病院の規模拡大につれ、昭和五二年四月右清和会の理事兼総務部長に就任していたもの、である。

二、被告人らによる協立病院の開設とその運営

前記のとおりの経緯により、被告人Aは、被告人Bやその友人の医師Kらと新病院設立を計画し、その所有する不動産を担保に供する等して銀行の融資を受けた上、昭和四八年一〇月二六日徳島県知事より、理事長K、理事兼病院長被告人B、常務理事被告人A、監事Lとして医療法人清和会・協立病院(以下、単に清和会、或いは協立病院と略称することがある)の設立認可を受け、同年一一月一〇日許可病床数四八床、被告人Bを院長とする常勤医師四名の病院として開設し診療を開始した。その後、昭和四九年一月三〇日、理事長Kの辞任に伴い、被告人Aが理事長に昇格し、昭和五二年四月には、既に雇入れていた被告人Cを理事兼総務部長に配置し、ここに理事長被告人A、院長被告人B、被告人Cは、被告人A、同Bの命を受けつつ、病院の経理事務を統轄し、事務職員を指揮監督するという、被告人ら三名の手による医療法人清和会協立病院の経営体制が確立するに至った。被告人A、同Bらは、協立病院の経営に際し、特に、老人医療の拡充に着眼し、いわゆる完全看護を打ち出したため、寝たきり老人を抱える一般家庭の要求に応え、又、一般病院からも患者を引取ることが多くなり、昭和五一年七月には、最新鋭のX線断層撮影装置を備え付け、老人や脳卒中患者等に対する治療の拡充を図った。以来、協立病院は、二回の病棟増築工事を行い入院患者も急増し、許可病床数は、昭和四九年三月に九〇床、昭和五〇年七月に二二四床、昭和五二年三月に三五九床、同年七月には三九〇床の許可を受けるまでに増加し、昭和五三年八月三一日には園瀬分院(許可病床数四四床)をも開設し、昭和五二年度においては月平均一億円、昭和五三年度以降においては月平均一億一、二千万円の収入をあげ、徳島県下では最大の規模を誇る民間総合病院にまで発展するに至っていた。

(罪となるべき事実)

被告人Aは、徳島市《番地省略》に事務所を置き、協立病院を経営する医療法人清和会(以下単に清和会ともいう)の理事長として、対外的には社団を代表し清和会のためその業務全般を統轄し、清和会に帰属する現金、預金、その他の資産を管理する等の職務に従事していたもの、被告人Bは、清和会の理事兼協立病院院長として理事長である被告人Aを補佐し、清和会のためにその業務全般を統轄処理し、清和会に帰属する現金、預金、その他の資産を管理する等の職務に従事していたもの、被告人Cは、清和会の経理課長ないしは理事兼総務部長として、理事長である被告人Aを補佐しつつ清和会のために現金、預金の出納、保管等経理会計事務を担当する等の職務に従事していたものであるが、

第一  被告人A、同Cは共謀のうえ、

一、被告人Aの利益を図り、清和会に損害を加える目的をもって、夫々その任務に違背し、被告人Aの自宅新築資金等に費消するため、昭和五一年一二月三〇日ころ、前記清和会事務所において、何らその事実がないのに、徳島市《番地省略》所在の被告人A所有の建物を、あたかも清和会に賃貸したかの如くに仮装し、その敷金名下に清和会振出名義の小切手一通(金額三、〇〇〇万円)を作成したうえ、これを同市南二軒屋町所在の株式会社徳島相互銀行八万支店における被告人A名義の普通預金口座に入金し、もって、清和会に対し右金額相当の財産上の損害を加えた

二、前同様の目的をもって、夫々その任務に違背し、昭和五二年一月二二日ころ、前記清和会事務所において、さきに被告人Aが自己の用に供するため広島市庚午北一丁目六番二九号株式会社インテリヤいまだ(以下単に「いまだ」という)から購入した家具(飾棚外一四点)の代金の支払いに充てるため、前記徳島相互銀行八万支店の清和会名義の当座預金口座から広島市荒神町五番八号株式会社広島銀行広島東支店の右「いまだ」名義の当座預金口座に金三五五万一、五〇〇円を振込送金し、もって清和会に対し右金額相当の財産上の損害を加えた

三、前同様の目的をもって、夫々その任務に違背し、昭和五二年三月三一日ころ、前記清和会事務所において、さきに被告人Aが自己の用に供するため徳島市西船場町四丁目有限会社昭和電機商会から購入したステレオ一式の代金支払いに充てるべく、同会社専務取締役井上周三に対し、清和会振出名義の小切手一通(金額一五〇万四、五〇〇円)を作成交付し、もって清和会に対し右金額相当の財産上の損害を加えた

四、前同様の目的をもって、夫々その任務に違背し、昭和五二年一一月一八日ころから同年一二月二〇日ころまでの間、三回にわたり前記清和会事務所において、さきに同年一〇月七日徳島市徳島町二丁目三二の一株式会社徳島パークホテル内で行われた被告人Aの長男Mの結婚式及び結婚披露宴費用の支払いにあてるため、同ホテル支配人丸田勝久に対し、清和会振出名義の小切手三通(金額合計二七三万円)を作成交付し、もって清和会に対し右金額相当の財産上の損害を加えた

五、前同様の目的をもって、夫々その任務に違背し、昭和五二年一〇月二〇日ころ、前記清和会事務所において、さきに前記Mの結婚記念品として配布するべく徳島市八万町大坪二二八番地有限会社「お買いものセンターはしもと」(代表取締役橋本美沙子)から購入した純銅製ケットル二二〇個分の代金一三二万円の支払いに充てるため、右橋本美沙子に対し、清和会振出名義の右代金を含む金額二五〇万八、六〇〇円の小切手一通を作成交付し、もって清和会に対し右ケットル購入代金相当の財産上の損害を加えた

六、前同様の目的をもって、夫々その任務に違背し、昭和五二年一〇月三一日ころ、前記清和会事務所において、さきに前記Mの結婚記念品として配付すべく徳島市両国橋一一番地菓子販売業「福屋」こと谷内健二方で購入した和菓子一八四箱分の代金二五万七、六〇〇円の支払いに充てるため、右谷内健二の妻谷内富子に対し、清和会振出名義の小切手一通(金額二五万七、六〇〇円)を作成交付し、もって清和会に対し右金額相当の財産上の損害を加えた。

七、前同様の目的をもって、夫々その任務に違背し、昭和五二年一二月二二日ころ、前記清和会事務所において、さきに被告人Aが自己の用に供するため、前記「いまだ」から購入した家具(整理戸棚)の代金支払いに充てるべく、前記徳島相互銀行八万支店の清和会名義の当座預金口座から前記広島銀行広島東支店の右「いまだ」の当座預金口座に金二二万円を振込送金し、もって、清和会に対し、右金額相当の財産上の損害を加えた

八、前同様の目的をもって、夫々その任務に違背し、昭和五三年五月三一日ころ、前記清和会事務所において、被告人Aの固定資産税等の支払いに充てるため、前記一のとおり仮装した虚偽の賃貸借契約による家賃支払い名下に金一二八万七、八八〇円を含む清和会振出名義の金額二四三万四、〇五〇円の小切手一通を作成したうえ、これを収納代理金融機関である前記徳島相互銀行八万支店に交付し、もって、清和会に対し右家賃金額相当の財産上の損害を加えた

九、前同様の目的をもって、夫々その任務に違背し、昭和五三年六月二日ころ、前記清和会事務所において、さきに被告人Aが徳島市富田浜一丁目所在の株式会社徳島相互銀行本店から借用していた貸付金の返済に充てるため、前同様の仮装した賃貸借契約による家賃支払名下に清和会振出名義の小切手一通(金額八二三万八、八九〇円)を作成し、これを同銀行八万支店を介して右本店に振替入金させ、もって、清和会に対し右金額相当の財産上の損害を加えた

一〇、昭和五二年一〇月一九日ころ、前記清和会事務所において、さきに被告人Aが前記「福家」こと谷内健二方より自己のために購入した和菓子代金の支払いに充当する目的をもって、ほしいままに、被告人両名が清和会のため業務上預り保管中の現金二三万四、〇〇〇円を着服して横領した

第二  被告人A、同B、同Cは共謀のうえ

一、被告人Bの利益を図り、清和会に損害を加える目的をもって、夫々その任務に違背し、被告人Bの自宅新築資金等に費消するため、昭和五二年四月二六日ころ、前記清和会事務所において、何らそのような事実がないのに、徳島市《番地省略》所在の被告人B所有の建物をあたかも清和会に賃貸したかの如く仮装し、その敷金支払名下に清和会振出名義の小切手一通(金額一、〇〇〇万円)を作成したうえ、これを前記徳島相互銀行八万支店における被告人B名義の普通預金口座に入金し、もって清和会に対し右金額相当の財産上の損害を加えた

二、前同様の目的をもって、夫々その任務に違背し、昭和五三年六月二日ころ、前記清和会事務所において、右のとおり仮装した賃貸借契約に基く家賃支払い名下に清和会振出名義の小切手一通(金額三五二万九、六三〇円)を作成したうえ、これを前記徳島相互銀行八万支店における被告人B名義の普通預金口座に入金し、もって清和会に対し右金額相当の財産上の損害を加えた

第三  被告人B、同Cは共謀のうえ

一、昭和五二年六月二〇日ころ、前記清和会事務所において、さきに被告人Bが、大阪市北区中之島五丁目三番六八号所在の大阪ロイヤルホテル内「アドニス」店において自己のために購入した家具代金の支払いに充当する目的をもって、ほしいままに、被告人両名が清和会のために業務上預り保管中の現金七二万円を着服して横領した

二、昭和五二年一〇月二九日ころから昭和五三年三月七日ころまでの間、前後四回にわたり、いずれも前記清和会事務所において、さきに被告人Bが徳島市東新町一丁目三一番地所在の株式会社「ハラダ」において、自己のために購入した指輪代金の支払いに充当する目的をもって、ほしいままに被告人両名が清和会のために業務上預り保管中の現金合計三五万円を着服して横領した

(以上、いずれも昭和五四年八月一三日付起訴分)

第四  被告人A、同B、同Cは共謀のうえ、被告人A、同Bの個人的用途に費消する目的をもって、別紙一覧表(一)記載のとおり、昭和四九年一一月二九日ころから昭和五四年三月三一日ころまでの間、前後六二回にわたり、前記清和会事務所において、被告人Aの妻N子ほか被告人三名の親族や知人八名が清和会の職員であり同女らに対し同表記載のとおりの給料を支払うものであるかの如く仮装した上被告人らが清和会のために業務上預り保管中の現金合計四、一〇四万四、八六五円を着服して横領した

第五  被告人A、同Cは共謀のうえ

一、被告人Aの利益を図り、清和会に損害を加える目的をもって、夫々その任務に違背し、別紙一覧表(二)記載のとおり、昭和五一年一〇月三〇日ころから昭和五四年三月三一日ころまでの間、前後三〇回にわたり、前記清和会事務所において、前同様の方法でN子に対して給料を支払い、その一部をいわゆる勤労者財形貯蓄として預金するものの如くに仮装し、前記徳島相互銀行八万支店における清和会名義の当座預金口座から同女名義の勤労者財産形成積立定期預金口座に合計金三六〇万円を振込入金し、もって清和会に対し右金額相当の財産上の損害を加えた

二、昭和五一年一二月八日ころ及び昭和五二年三月三〇日ころの二回にわたり、前記清和会事務所において、さきに被告人Aが岩鶴美恵子から自己のために購入した毛皮コート代金の支払いに充当する目的をもって、ほしいままに、被告人らが清和会のために業務上預り保管中の現金合計一一六万一、七〇〇円を着服して横領した

第六  被告人Aは、

一、自己の利益を図り、清和会に損害を加える目的をもって、その任務に違背し、昭和五二年四月二〇日ころ、前記清和会事務所において、さきに知人のD大学附属病院講師Oの結婚記念品として配付するため、前記有限会社「はしもと」から購入したシーツ九〇箱分の代金四〇万一、四〇〇円の支払いに充てるため、前記Cをして前記橋本美沙子に対し、清和会振出名義の右代金を含む金額四六万七、〇六五円の小切手一通を作成交付させ、もって清和会に対し、右シーツ購入代金相当の財産上の損害を加えた

二、前同様の目的をもって、その任務に違背し、昭和五二年九月二一日ころ、前記清和会事務所において、さきに徳島市幸町三丁目五五番地所在のホテル「千秋閣」で行われた前記Oの結婚披露宴費用の支払いに充てるため、前記Cをして同ホテル従業員吉野龍己に対し、清和会振出名義の小切手一通(金額六九万二、二八〇円)を作成交付させ、もって清和会に対し右金額相当の財産上の損害を加えた

(以上いずれも昭和五四年八月二七日付起訴分)

第七 被告人B、同Cは共謀のうえ、昭和五二年七月二〇日ころから同年九月五日ころまでの間、前後三回にわたり、前記清和会事務所において、さきに被告人Bが徳島市東大工町二丁目一〇所在の株式会社「岩谷」及び同市末広一丁目所在株式会社「末広家具」において、自己のために購入した家具代金の支払いに充当する目的をもって、ほしいままに被告人らが清和会のために業務上預り保管中の現金合計四四万九、六〇〇円を着服して横領した

第八 被告人A、同Cは共謀のうえ、昭和五二年七月二八日ころ、前記清和会事務所において、さきに被告人Aが徳島市新南福島一丁目六の一七所在の「しいの家具店」から自己のために購入した家具(鏡台ほか三点)代金の支払いに充当する目的をもって、ほしいままに被告人らが清和会のために業務上預り保管中の現金三六万五、〇〇〇円を着服して横領した

(以上、昭和五四年九月五日付起訴分)ものである。

(証拠の標目)《省略》

(事実認定の理由)

一、判示第一の一、八、九、第二の一、二の各背任の成立について

被告人A、同Cは判示第一の一、八、九の、被告人三名は、判示第二の一、二の各背任の成立についてこれを争い、右の各訴因はいずれも無罪である旨主張している。

右の各訴因は、清和会理事長、協立病院院長であった被告人A、同Bが、そのような事実がないのに、夫々、その自宅を協立病院に対して賃貸借した形にし、仮装の賃貸借契約を結んで右契約に基く敷金、家賃等の名目で清和会より不法に出金させたことを背任罪として問擬するものであるが、被告人らは、いずれも右の各賃貸借は、理事長、院長の各自宅を協立病院の公舎として使用するためのものであって、正当な契約であり、被告人A、同Bらは敷金、家賃等を受領する権利があった旨主張している。

ところで、判示各事実に対応する《証拠省略》によると、右の夫々の建物は、被告人A、同Bらが家族と共に居住し、自らの個人所有地上に所有する建物であり、事実上も法律上も被告人ら所有の建物であり、現実にも、被告人両名の各建物が、公舎或いは社宅として協立病院との間に日常的な使用関係にあって、同病院の業務の用に供されているような事実はなかったこと、被告人Aの場合、前記賃貸借契約書は、被告人Cが、部下のP子に対し、「都合で理事長に三、〇〇〇万円渡した。病院が理事長宅を借りる形にするからその金は敷金ということにしておいてくれ。家賃は八〇万円にしといてくれ。あとは適当に書いといてくれ」と命じ同人に作成させたものであり、被告人Bの場合も金額の点を除けばほゞ同じような経緯であること、敷金三、〇〇〇万円、一、〇〇〇万円という高額の契約であるのに被告人A、Bらは自ら契約書を見てもいないこと、が夫々明らかに認められるところである。

従って、右の各建物は、あくまで被告人両名の各所有であり、又、現実の使用関係に照らしても、協立病院の公舎である、などという被告人らの主張は、事実の上でも、論理の上でも到底成立たないものというほかはない。

結局、右の各賃貸借契約は、被告人A、同Bらが清和会協立病院より多額の出金をなさしめるための手段として便宜的に用いた仮装のものであるといわなければならない。

然して、右の事態からしても明らかなように、被告人らは、本来医療法人清和会に帰属するべき資産を仮装の契約書を作成して粉飾をこらした上、自らの利得としたものであるから、自己の利益を図り或いは法人に損害を加える目的は優にこれを認定でき、又、夫々法人の役員たる任務に違背して右利得を得た時点、すなわち清和会振出名義の小切手を作成し、各被告人名義の預金口座に入金せしめた時点において、医療法人清和会に同額の損害を加えたものというのに充分である。

従って、被告人らの主張は採用することができない。

二、被告人Cの幇助犯の主張について

被告人Cは、自己の行為について、いずれも自らは何らの利得を得てはおらず、被告人A、同Bらの命に従ってその手続に関与したものに過ぎないから幇助犯が成立するに止まる旨主張している。

しかし、《証拠省略》により明らかなように、被告人Cは清和会の理事兼総務部長であり、清和会の具体的な経理事務を掌握し、部下職員を指揮して本件各不法出金をなさしめたが、右はいずれも清和会振出の小切手や現金、帳簿上の操作によってなされており、右の経理事務を総括していたのは被告人Cであった。同被告人は、各判示の事情を知悉した上、被告人A、同Bと協議し、具体的に本件各犯行の正犯行為を担当したものであり、その行為態様は、まさに夫々の構成要件該当の行為を具体的に実行する共同正犯の犯行態様そのものであるというほかはなく、被告人A、同Bらとの間の立場の相違は、畢竟、情状面における差異に過ぎないものと認めるのが相当である。

(法令の適用)

被告人A、同Cの判示第一の一ないし九、判示第五の一、被告人三名の判示第二の一、二の各所為は、いずれも刑法六〇条、二四七条、罰金等臨時措置法三条一項一号に、被告人Aの判示第六の一、二の各所為は、刑法二四七条、罰金等臨時措置法三条一項一号に各該当するところ、以上につきいずれも所定刑中懲役刑を選択し、被告人A、同Cの判示第一の一〇、判示第五の二、第八、被告人B、同Cの判示第三の一、二、第七、被告人ら三名の判示第四の各所為は、いずれも刑法六〇条、二五三条に夫々該当するところ、被告人三名につき、以上の各罪は、夫々刑法四五条前段の併合罪なので、被告人三名につき夫々刑法四七条本文、一〇条を適用していずれも以上のうち刑及び犯情の最も重いと認める判示第四の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人Aを懲役三年に、被告人Bを懲役二年六月に、被告人Cを懲役一年六月に夫々処することとし、刑法二一条を適用して被告人三名につき、夫々の未決勾留日数中夫々三〇日を右の各刑に算入し、後記のとおりの情状を考慮し、被告人三名に対し、刑法二五条一項を適用していずれもその刑の執行を猶予することとするが、その期間は、被告人Aについては、この裁判の確定した日から五年間、被告人Bについては三年間、同Cについては二年間とし、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して夫々その三分の一ずつを各被告人に負担させることとする。

(本件犯情と量刑の理由について)

本件は、被告人らが医療法人清和会協立病院の経営を一手に掌握していた立場を幸いに、清和会の資産から多額の金員を不法に出金せしめた事案であり、広く医療関係に従事する者のモラルの問題としては勿論、ひいては医療そのものの在り方までもが問われる事件として一般世人の強い注目と批判とを浴びた。

すなわち、被告人A、同Bは、その所有にかかる家屋を協立病院との間に賃貸借契約したように仮装し、被告人両名において、敷金、家賃名下に判示のとおりの多額の金員を不法に出金させ、或いは、その知人や親族を清和会の職員であるかの如くに仕立てて、これらに給料を支払う旨仮装し多額の金員を不法に出金させ、或いは、夫夫、私用の家具、ステレオ、毛皮コート、指輪代金等に対する支払いに要する費用を不法に出金させ、又、被告人Aは、自己の長男の結婚式費用や披露宴、記念品に要する費用を清和会から不法に出金させ、或いは、D大学医学部附属病院医師の結婚式、披露宴、記念品等に要した費用を清和会から不法に出金させたものであり、被告人Cは、清和会理事兼総務部長として、これら一切の経理上の操作を取り仕切ったものであるが、その不法出金の総額は一億一、〇〇〇万円以上にも及んでいる。

ここで、被告人らが、協立病院の経営を支配する立場にあったが故に、どうしてかような巨額の金員をほしいままにすることができたのか、その淵源、とりわけ本件が起訴されるに至った経緯をも含めて被告人らの取得した利益の源泉が考察されなければならない。

既に認定した事実に加え、《証拠省略》によると次の事実が認められる。

健康保険法等で定めている基準看護制度は、入院患者数に対する看護婦数の割合により特一類、特二類、一類、二類、三類の五段階に分かれ、夫々の基準看護毎に看護加算点数が設定され、夫々の段階に応じて事実上病院が格付けされている。協立病院は、当初、基準看護料が加算されない、いわゆる無類で出発したが、昭和四九年三月、一般病棟として徳島県知事から一類基準看護の承認を受け、以後、右基準に基く各加算料の支払を各保険団体より支給され、昭和五三年度においては右の加算料収入は月額約一、〇〇〇万円を超えていた。しかし、協立病院においては、一類基準看護の承認を受けた当初から看護婦なかんずく正看護婦の数が不足し、基準承認要件を欠いていたが、病床数三九〇床とした昭和五二年七月ころからは看護婦の数が慢性的に不足する事態となり、そのため清和会においては、右承認要件を充足しているように装うため、知り合いの看護婦の名前を借りたり、架空の看護婦名を看護日誌、病棟日誌等に記入するなどして内部資料を整え、毎年七月一日県知事に対して行う定期報告でも実際の入院患者を過少に申告しつつ看護婦を適宜水増しして表面を糊塗していた。

昭和五三年一一月徳島県厚生部は協立病院に対して調査を開始したが、その結果、昭和五四年七月一〇日同病院が一類基準看護加算料を不正に受給していたことを理由に、清和会に対し昭和五一年六月三〇日にさかのぼって一類基準看護承認取消通知をし、一類基準看護加算料の不正受給分を各保険者に対して返還するよう命じたが、右返還を命じられた金額は約二億六、三〇〇万円に達している。

以上の事実が認められる。

右にみたところからも窺われるとおり、病院の経営は基本的には社会保険給付金に強く依存しており、その究極は国民の支払う保険料により支えられているといってよい。個々の保険金は、具体的には夫々の保険医療機関や保険医からの請求により社会保険診療報酬支払基金や国保連合会を窓口として審査を経た上支払われるが、右請求が正当かどうかは診療報酬請求明細書(いわゆるレセプト)による書面審査だけで行われるため、慎重な審査を経ても尚、これを巧みにかい潜ろうとする者がある場合には具体的なチェック機能を果すことは事実上困難であるというほかないのであって、その運用は、夫々の保険医療機関や保険医の側の誠実さと良識とに委ねられている実情にある。いわば、保険医療機関や保険医らは、医療保険制度を悪用したり診療報酬の不正受給はしないものだという信頼関係に立ってのみ右の制度が成立っているともいえる。元々、高度に専門的な知識と複雑にして微妙な判断を要する医事治療の世界のことであるから、結局、医師の良心と誠実さを信頼するしかないという医療行為の特殊性からも右の制度とその運用には、それなりの合理性があるのに相違ない。

しかし、それだけに現に右制度を運用する医師或いは保険医療機関の責任は重大である。本来、医療は国民のためのものであり、その運用は国民の健康な生活を営む権利の実現に向けてなされなくてはならず、決して一部の病院や、医療を営利として行おうとする者の個人的富の蓄積のために、或いはその恣意の赴くままに運用されて良い筈がない。

右認定にかかる事実に照しても、短期間における協立病院の拡大発展の背景には、老人医療への着目、最新鋭設備の導入等による患者数の増大と共に、右の保険診療の法網をかい潜った帳簿と報告書の操作により看護加算料を多額にわたって不正受給したことが与って力となったものであろうと推察するに難くない。そして、本来医療法人の生み出した利益は、医療法人の内部に止められ、より一層の医療水準の向上のため、人的物的設備の充実に向けられるべきところ、被告人らの巧みな経理上の操作を媒介として被告人A、同Bらの個人的利得とされ、被告人らの私腹を肥やす源泉となったのである。

成る程、被告人Aは、《証拠省略》によっても、自らの不動産を担保に徳島相互銀行より多額の融資を受け被告人Bと共に協立病院を開設した。被告人A、同Bは同病院の負債に対し、個人として連帯保証しており、同病院を開設して今日に至るまで育て上げたとも言えるのであり、言うなれば協立病院と一体となり運命を共にするような関係にあった訳であるから、これらの経緯からすると、その当否はともかく右被告人両名において、その心中に「協立病院は自分のもの」であるとの意識が芽生え拡大して行ったとしても、あながち不自然ではないのかもしれない。

しかし乍ら、右被告人両名のかような苦労や協立病院の発展も、究極には、営々と働く国民が負担する保険料に依存しているものであることが直視されるべきである。言い換えるならば、本件における協立病院の場合に典型的にみられるように、短期間のうちに莫大な利益を生み、その経営に従事したが故に、庶民から見れば夢のような多額の利得を個人的に享受し得るという現代医療の中で生じた一つの現実は、高額の保険料を負担する一般国民の犠牲の上に、極く一部分の者の莫大なる富が聳え立つという現代医療の歪みの集中的表現であると考えられるのである。かような事態がいつまでも是正されず、より一層の営利への道を走り続けるならば、医療は救い難い荒廃に陥り、医療と医学は、営利のための単純なる侍女と成り果てる場合すら否定することはできないであろう。

しかし乍ら本件協立病院に対する捜査は、当初、一類基準看護加算料不正受給の件について展開されたが、右容疑については結局不起訴処分として終局し、判示のとおりの被告人らによる清和会からの不法出金の点のみが起訴されるに至った。従って、当裁判所が被告人らに対する量刑を考える上でも、右の加算料不正受給の点を単なる一般情状として斟酌することはともかく、これを実質上処罰する趣旨で考慮することは許されない(最判昭四一・七・一三刑集二〇巻六号六〇九頁)ところである。

以上の基本的認識に立脚して被告人らに対する量刑を考える。

被告人Aは、本件各犯行による利得が七、六六〇万円余、同Bは三、五五七万円余に及んでいる。前述のとおり右の巨額の不法出金は、その究極の源泉は基準看護加算料の不正受給にもつながっているものであり、実質上それらをほしいままにしたものというも過言ではなく、被告人らの罪責には、甚だ軽視すべからざるものがあるといわなければならない。

しかし、他方において、被告人らの本件犯行は、大なり小なり、現在の医療機関の実態と体質の中から生まれるべくして生み出されたと見うる面があり、その是非はともかく、被告人らの行為や意識を、その中で適切に位置づけた上、被告人らに対する具体的処遇を決定するのでなければならないであろう。さもなければ、現在の医療における諸々の病理の全責任を、ひとり被告人らのみが負担するというような結果にもなりかねないからである。

然して、被告人らの行為を、今日の医療の実態に即して見つめるならば、以下のような点に被告人らなりの酌むべき事情の存在することを否定することはできない。

前認定の事実に加え、《証拠省略》によれば、清和会協立病院は、被告人A、同Bらの共同出資による医療法人であるが、金融機関より融資を受けるについては右被告人両名が無限の責任を持ち、被告人Aは三億円、同Bは一億五、〇〇〇万円の生命保険契約を締結してまで右融資額につき返済を約していたのであり、右の実情からすると、右被告人両名は、協立病院の発展の如何と密接不可分に関り合い、まさに運命を共にする立場にあったといって過言ではなく、そこから自ずと協立病院に対して個人病院に対すると類似の感覚を抱くに至ったとしても必らずしも不自然とは言い難いこと、被告人A、同Bは、いずれも判示認定の不正利得の全額を本件発覚後清和会に対して返済していること、本件発覚の糸口となった基準看護加算料の不正受給分約二億六、〇〇〇万円も全額返還を完了していること、被告人らは、本件発覚の直後から報道機関等により社会的に広く喧伝批判されるに及び被告人A、同Bは、いずれも理事長、院長の職を辞任し、これまでの間かなりの程度に社会的制裁を甘受して来たものと考えられること、被告人らが開設し老人看護を拡充した協立病院の治療そのものに対しては、感謝の念を抱いている患者、その家族が少なからず存在するものと認められること、被告人ら三名は、いずれも本件により一か月以上も勾留され、当公判廷においても夫々多分の反省と自戒の念を表明していること、が夫々認められるところである。

前述のとおり、本件の背景には、現在の医療内部に潜在する諸々の問題が広く深く横たわっており、しかも今直ちに解決できるような問題とは言い難い。被告人らは、軽卒なこととはいえ、その当時においては深い違法の意識も無いまま本件各犯行に赴いている面も窺うことができ、又、それだけに問題は一層深いとも考えられる。

尚、被告人Cは、その行為の態様からして実行正犯としての責任を負うべきものとしても、現実の利得は何もなく、理事長たる被告人A、院長たる被告人Bの命によりこれを実行したものであること、反省の念顕著である等の情状が認められるところである。

以上の諸々の事情を考慮すると、当裁判所は、被告人らの判示各犯行は、誠に遺憾であり、その夫々の罪責は到底看過し難い重大性を含むものと考えるものであるが、他方で、現在の医療機関の実態、特に徳島地検が協立病院による基準看護加算料の不正受給の容疑を不起訴処分にせざるを得なかったこと、右決断は、同地検において、県下における医療機関の実情の総体を慎重に検討し考慮した結果であるとも推察されること、等を総合勘案したときは、被告人らに対し、今直ちに施設収容を以て臨むことは、いささか過酷に失する嫌いがあると考慮せざるを得ない。

今回の事件は、徳島県下のみならず、我が国の医療に従事する全ての者にとって、まさに頂門の一針であり、再び、かようなことのないよう当裁判所は切望するものであるが、諸般の情状を考慮したとき、被告人らに対しては、夫々、特に今回に限り、その刑の執行を猶予し、自力による更生に期待するのが相当であると思料するものである。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 安藝保壽 裁判官 秋山賢三 細井正弘)

<以下省略>

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